2013年02月26日
わたしについて⑫
今まで自分自身だと思っていた、宇宙の中のいるとても小さな体に収まる私などは本当は存在しないのだということを体感しました。
でも矛盾をしているのようなのですが(笑)・・やはり相変わらず、個人の”智美”は存在しています。
そして今までと何も変わらず、日常の起こることに色々と反応し判断し、喜んだり、悲しんだりしています。
でも今までの感覚と少し違う感じで自分自身を捉えていました。
とても客観的な私がいるのです。
「私は智美です」、という感覚はもちろん普通にあるのですが、この思考や感情を別のものとしてみています。
たとえば、リラックスしているときの私の感覚ををただの広い草原だとしたら、
強い、ネガティブな感情等に反応するとき、その風通しのいい気持ちいい草原のなかに、一瞬にして沢山の羊たちで草原が埋め尽くされる・・・という感じです。
若干解りづらい表現になってしまいましたが(^^ゞ、そのようなあきらかな違いを自分の中で感じとっていました。
空間スペースの中に重いエネルギーがふいに現れて、もくもくと雲のように広がり、体の軽やかなスペースを乗っ取られ
そしてその感覚を体が感じとっているのです。
そしてまた、起こる出来事に反応する感情の度合い(強さ)に、偏りがあり、どうも癖があるように感じたのです。
特に、苦手なシチュエーションなどがあり、その場面に遭遇すると、いつも同じような思考、態度、不快感、をとってしまい(体験してしまい)
その感情や自分をとりまくネガティブモードに一気に巻き込まれてしまう私がいます。
いまここにいるリラックスしている感覚が消え、ここに展開されている現象を目で見てはいるのですが、
思考や感情や独自の判断から創りだされる私だけ(智美)の心の世界にジャンプしてハマりこんでしまうときがあるのです。
その時は、為すすべはなく、その夢(心の世界、心のおしゃべり)から覚めるまではなかなか戻ってくることができません。
起きていることへのジャッジや、恐れ、またその恐れを恐れではないものに変換しようと必死で試みるなどの抵抗を必死で行っています。
で、ふと思い出していまに気付き、いまに戻ってくると、
自分が創りだしたとはいえ、すごい重くて暗い、恐怖感のなかにいたな~と思ったりしました。
そうなんです、なにか苦しい気持ちや、不安、不快だと思うとき、いつもいまのここではない
過去の記憶をもとにして創られた(創った)架空のイメージの世界へ行っているのようなのです。
そんなことがいつも自分の中で起きていたんだと、だんだんとわかってきました。
ここに世界が二つ存在しています。
でもその当時は、そのようなことを気付いたとはいえ殆どが、自分の創りだした世界にいました。
現在もですけど(笑)
その世界にいることは馴染みもあり、平気なのですが、良くも悪くも強い感情が伴うと、とてもとても苦しい感じがしました。
まるでその架空の世界に無意識に深くハマりこんでしまっている私に、目を覚ましなさいと合図を送っているような感じですね(笑)
以前に、阿部さんと雲黒斎さんが出された 目覚めについての講演会が収録されたCDの題名が、
「アラームクロック」でしたが、まさにこのことだと思います。
そして、気付けばすぐに今に戻れるときもあれば、わかっちゃいるけど、戻れないときがあるのです。
この架空の心の世界へのハマり具合が、私の心の癒されていない場所であり、
またカルマ(浄化されていない過去の思い込みの記憶が創りだした滞ったエネルギー)の作用のようなのです。
今となって、このように自分の中で何が起きているかその心の中のシステムのようなものが少しずつ解ってきたのですが、
その当時は、いつも心の中は草原の存在など解らなくなるほどの羊だらけの毎日でした。
・・・・
いつも通っていたいまここ塾に行くと、誰でもない人になる時間を持ちましょうと、瞑想を勧めていました。
わたしはいつも心は落ち着かず、わさわさとしていると感じていましたので、そんな静かに座る時間が必要だと思い、
その日から朝、晩、お昼休み時間など、
5~10分ほど意識的に実践をしようとおもいまして。
ところが、やってみると、どうも落ち着かないのです。
心が静かになるどころか、心のおしゃべりが、ますます加速するようです。
そしてたった5分、静かにしていることが、とても苦痛なんです。
なぜがイライラとし、胸は苦しくなりこんなことしていられないとまで思ってしまいました。
でも矛盾をしているのようなのですが(笑)・・やはり相変わらず、個人の”智美”は存在しています。
そして今までと何も変わらず、日常の起こることに色々と反応し判断し、喜んだり、悲しんだりしています。
でも今までの感覚と少し違う感じで自分自身を捉えていました。
とても客観的な私がいるのです。
「私は智美です」、という感覚はもちろん普通にあるのですが、この思考や感情を別のものとしてみています。
たとえば、リラックスしているときの私の感覚ををただの広い草原だとしたら、
強い、ネガティブな感情等に反応するとき、その風通しのいい気持ちいい草原のなかに、一瞬にして沢山の羊たちで草原が埋め尽くされる・・・という感じです。
若干解りづらい表現になってしまいましたが(^^ゞ、そのようなあきらかな違いを自分の中で感じとっていました。
空間スペースの中に重いエネルギーがふいに現れて、もくもくと雲のように広がり、体の軽やかなスペースを乗っ取られ
そしてその感覚を体が感じとっているのです。
そしてまた、起こる出来事に反応する感情の度合い(強さ)に、偏りがあり、どうも癖があるように感じたのです。
特に、苦手なシチュエーションなどがあり、その場面に遭遇すると、いつも同じような思考、態度、不快感、をとってしまい(体験してしまい)
その感情や自分をとりまくネガティブモードに一気に巻き込まれてしまう私がいます。
いまここにいるリラックスしている感覚が消え、ここに展開されている現象を目で見てはいるのですが、
思考や感情や独自の判断から創りだされる私だけ(智美)の心の世界にジャンプしてハマりこんでしまうときがあるのです。
その時は、為すすべはなく、その夢(心の世界、心のおしゃべり)から覚めるまではなかなか戻ってくることができません。
起きていることへのジャッジや、恐れ、またその恐れを恐れではないものに変換しようと必死で試みるなどの抵抗を必死で行っています。
で、ふと思い出していまに気付き、いまに戻ってくると、
自分が創りだしたとはいえ、すごい重くて暗い、恐怖感のなかにいたな~と思ったりしました。
そうなんです、なにか苦しい気持ちや、不安、不快だと思うとき、いつもいまのここではない
過去の記憶をもとにして創られた(創った)架空のイメージの世界へ行っているのようなのです。
そんなことがいつも自分の中で起きていたんだと、だんだんとわかってきました。
ここに世界が二つ存在しています。
でもその当時は、そのようなことを気付いたとはいえ殆どが、自分の創りだした世界にいました。
現在もですけど(笑)
その世界にいることは馴染みもあり、平気なのですが、良くも悪くも強い感情が伴うと、とてもとても苦しい感じがしました。
まるでその架空の世界に無意識に深くハマりこんでしまっている私に、目を覚ましなさいと合図を送っているような感じですね(笑)
以前に、阿部さんと雲黒斎さんが出された 目覚めについての講演会が収録されたCDの題名が、
「アラームクロック」でしたが、まさにこのことだと思います。
そして、気付けばすぐに今に戻れるときもあれば、わかっちゃいるけど、戻れないときがあるのです。
この架空の心の世界へのハマり具合が、私の心の癒されていない場所であり、
またカルマ(浄化されていない過去の思い込みの記憶が創りだした滞ったエネルギー)の作用のようなのです。
今となって、このように自分の中で何が起きているかその心の中のシステムのようなものが少しずつ解ってきたのですが、
その当時は、いつも心の中は草原の存在など解らなくなるほどの羊だらけの毎日でした。
・・・・
いつも通っていたいまここ塾に行くと、誰でもない人になる時間を持ちましょうと、瞑想を勧めていました。
わたしはいつも心は落ち着かず、わさわさとしていると感じていましたので、そんな静かに座る時間が必要だと思い、
その日から朝、晩、お昼休み時間など、
5~10分ほど意識的に実践をしようとおもいまして。
ところが、やってみると、どうも落ち着かないのです。
心が静かになるどころか、心のおしゃべりが、ますます加速するようです。
そしてたった5分、静かにしていることが、とても苦痛なんです。
なぜがイライラとし、胸は苦しくなりこんなことしていられないとまで思ってしまいました。
Posted by とまとま at 15:30│Comments(5)
│目覚め体験談
この記事へのコメント
まるで物語を読んでいるようです。
何度も読んでしまいます。
つ、続きが気になる〜(≧∇≦)
何度も読んでしまいます。
つ、続きが気になる〜(≧∇≦)
Posted by さらさら at 2013年02月27日 14:32
さらさらさん、
そうですね、今となっては物語です(笑)
つ、続きは・・・
また、ちょっとだけ待ってね(^o^)
そうですね、今となっては物語です(笑)
つ、続きは・・・
また、ちょっとだけ待ってね(^o^)
Posted by tomomi.k
at 2013年02月27日 16:05

智美さん、こんにちは。
わたしについてシリーズの続きを楽しみにしてました。
毎回感動しています。
「感覚」というものについて真剣に考えたことは、今までなかったような気がします。
広い草原…。沢山の羊たち…。
今から想像してみますσ(^_^*)
わたしについてシリーズの続きを楽しみにしてました。
毎回感動しています。
「感覚」というものについて真剣に考えたことは、今までなかったような気がします。
広い草原…。沢山の羊たち…。
今から想像してみますσ(^_^*)
Posted by cook at 2013年02月27日 18:37
cookさん
コメントありがとうございます^^
文章で書いておきながらなんなんですが・・・
想像はしない方がいいと思います(^_^;)
なぜなら、この草原と羊も、もともと誰もが感じているであろう感覚を
私なりに表現しただけなんです。
想像とは違うものを頭の中で生み出すように思います。
草原と羊は簡単にいうと リラックスしているか、緊張しているかということです。
コメントありがとうございます^^
文章で書いておきながらなんなんですが・・・
想像はしない方がいいと思います(^_^;)
なぜなら、この草原と羊も、もともと誰もが感じているであろう感覚を
私なりに表現しただけなんです。
想像とは違うものを頭の中で生み出すように思います。
草原と羊は簡単にいうと リラックスしているか、緊張しているかということです。
Posted by tomomi.k
at 2013年02月28日 17:33

智美さん、ありがとうございます。
なるほど〜。リラックスしているか、緊張しているか、それは誰もが感じている感覚ということなんですね。
つい草原と羊が気になってしまいましたσ(^_^;)。
頭の中の思考は、また違うものを生み出してしまうのですね。
いま落ち着いて自分のコメントを読んでみると、「感覚」を考えるというのは、あはは、ちょっと変でした。
だからこそ瞑想の習慣が大切なのかなと思います。
なるほど〜。リラックスしているか、緊張しているか、それは誰もが感じている感覚ということなんですね。
つい草原と羊が気になってしまいましたσ(^_^;)。
頭の中の思考は、また違うものを生み出してしまうのですね。
いま落ち着いて自分のコメントを読んでみると、「感覚」を考えるというのは、あはは、ちょっと変でした。
だからこそ瞑想の習慣が大切なのかなと思います。
Posted by cook at 2013年02月28日 20:20
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